茶鏡のブログ

駆け出しのWebデザイナーが文句ばっかりぐちぐちぐちぐち言う日記です。

ファンタジーとつきあう

私がメイドカフェに行くのは、メイドさんになりたいとかほしいとかではなく、ひとつのファンタジー世界の中でひとときを過ごしたいだけで。

ここでいう「ファンタジー」は剣と魔法のドラクエ的な世界ではなくて「幻想」のことです。

たとえば、好きな人や推しに対して、自分にとって都合の良いことを妄想したり思い込んでしまうことはファンタジーで、喜ばせようと作戦を立てることはファンタジーではありません。

程度の差はありますが、私たちは、ときとして、自分または誰かが生み出したファンタジー世界の中で過ごすことがあります。アイドルだったり、読書だったり、ゲーム、アニメ、いわゆる「コンテンツ」の力を借りることも多いと思います。

妄想膨らませて、自分なりのファンタジーを生み出すのもよし。うまく作れる人は、自分なりのファンタジーをコンテンツとして誰かにおすそわけすることだってできます。(同人誌とかね!)

最近の、ファンタジー世界を提供するコンテンツはすごく緻密です。ソシャゲは滅多にやらないのですが、グラフィックの緻密さにびっくりするし、テーマパークも、企画の密度を上げていかないと生き残れません。

最初に定義したようにファンタジーは「幻想」です。言うても「幻想」です。
自分にとって居心地が良くなかったり都合が悪かったりするとすぐ「幻滅」してしまう、とても儚いものなのです。

ファンタジーは現実を忘れさせてくれて、居心地がよい。そうあるべきものなのです。

私は、若い頃同人誌作ったりと、漫画やゲームなどのコンテンツにはまりつつも、自分でファンタジーを作ってしまう、自分の世界を脳みそまたは紙の上で再現して、デュフフとか言ってるタイプだったのです。

で、ちょっと不思議だったのが、最近傾倒しているメイドカフェで。
「にゃんにゃんきゅるる〜ん♪」なんて、外に出れば言えるかいみたいなことを平気で言えちゃう魔力があるんです。これが言いたかったわけではなく、言わされたかったみたいな。

自分が、自分の世界にない、人が作った夢の国に入国して、名前を呼んでもらったり世間話をして、自分の身で体感したことが新鮮な体験であったわけです。

受け身でファンタジー世界に没入するだけではなく、自分自身もそこの世界の住人になりたい、そんなわがままな願いもあるかもですし、自分の妄想力の衰えとか、新しいコンテンツへの好奇心だけではなく、狭量な自分の世界だけでは飽き足らない。

自分の世界では飽き足らないのならば、直接人に会い、話し、活動をし、そこでの人間関係を構築し互いに居心地のいい関係を、作り出して行きます。趣味が媒介となる場合もあります。自分のファンタジー世界をおすそ分けするのなんて、まさにそれですね。

それで、世界を広げて行くのです。

だからかどうかわかりませんが、大人になればなるほど、ファンタジーから離れ、より現実世界にコミットするようになることが多いです。仕事や生活の関係で、時間を費やせないという場合もあります。

それでも、楽しいことをやっていても我慢したりしなければいけないことが発生したりで、疲れ果ててしまうことは、誰にでもあります。

復習しますが、
ファンタジーは現実を忘れさせてくれて、居心地がよい。そうあるべきものなのです。

狭量で、自分の力で世界を広げられない私は、人が作ったファンタジー世界で過ごすために、いくばくかのお金を出します。

そうしてファンタジーと上手く付き合いながら、現実世界での生活をこなし、自分の世界や好奇心を広げ続けられるような器が欲しい感じです。

現実世界を生きる難度、また、自分の世界を広げる力は、人によって違います。
何歳になってもファンタジー世界で過ごすことに文句を言う権利は、誰にもありません。断言します。