TOKYO CITY WOW
ちょっくら江戸に、のノリで、東京に行って来ました。
東京は人生最後の修学旅行以来…14年ぶりに大都会を歩いて感じたことを書きます。14年ぶりですので、なにもしらんわけです。
やはり、街も人も美意識が高いです。
女の子はもちろん、おじさんおばさんもしゅっとしています。東京はイナカモンの集まり、みんながこぞってキメキメ、というのも、あるのかもしれません。
青山のタンバリンギャラリーから、246を通って、表参道、原宿へと街歩き中、なんでもない生活圏、道を歩いているつもりなのに、横を見るとギャラリーような張り詰めた美しさの空間があって、その度に竹刀で背中を叩かれたような気分でした。ええ、もうミミズ腫れです。
もっとびっくりしたのがミッドタウン。通り沿いに大きなビルがあって、その裏にきれいな庭があります。ところがその庭から徒歩1分以内が住宅地で、こんな標識が…。
「夜は静かにして下さい。 港区役所」
住宅街にいきなり大木がめこっ、と生えてきたかのようにミッドタウンという場所ができているのが、不思議です。東京の街がそういう成り立ちなのでしょうか。そこで暮らす人々は、自ずと情報と人の目にさらされます。
そんなミッドタウンになにをしに来たのかというと展示を見るため。
クリエイターが思い入れのある街を自分の言葉で伝え、地域の生活と社会のつながりを見つめ直す展示「マチオモイ帖」と、私でも名前を知っているファッションデザイナーの仕事に、新たなイメージを与えるカメラマンの仕事の、クリエイションのピンポン「三宅一生とアーヴィング・ペン展」を見ました。大阪発で、お知り合いがたくさん参加されているマチオモイ帖を見て、エスカレーターのポジションが右に戻ってしまった気持ちのまま、アーヴィング・ペンを見たので、心 が迷子になりました。
心が迷子になった21_21では、ミニマルで寡黙な空間は、入り口から迷い、順路の矢印は陰に溶け込みどっち向いてるのかわからず、ふつうに迷子になっていました。デザインされていないのではなく、展示をより雄弁に語らせるためにああなっているのです。たしかにあの展示は、まわりに余計なものがあれば頭が痛くなります。それでも、これが東京か、ちょっとミニマルにしすぎちゃうかと感じる私は、甘いのでしょうか。
どうも、東京のデザインは、アウトプットが大阪と違う方向を向いていて、生活に入り込んだ圧倒的な情報のなかで、すこしでも突き抜けたものを掛け算で産み出されているような気がします。それはそれで、よいのです。普段から東京情報を仕入れていれば大阪にいてもわかることなのでしょうが、体で感じるほどちがうものだったとは…。
渋谷パルコの地下の書店の、デザイン書の平台に積まれた山崎亮さんの本が妙に浮いていたことと、お友達の「地方から出てきた人が、東京カッコイイを作り出してる」という言葉が、ストンと腑に落ちます。