茶鏡のブログ

駆け出しのWebデザイナーが文句ばっかりぐちぐちぐちぐち言う日記です。

世界のマクドナルドのiPhoneアプリを集めて遊んだよ

世界のマクドナルドのiPhoneアプリを集めて遊んだら、けっこうおもしろかったので報告してみます。

もともと、お友達とスマホアプリを利用した販促について話をしていて、なぜ販促のアプリって必要なんやろうと気になり、真っ先に思いついたのがマクドナルド。で、APP Storeで「mcdonalds」といれたらいろんな国のが引っかかったのて入れてみたのです。

アプリを開いて、最初に出た画面をご覧ください。遊んでたのが少し前なので、情報が古くてすみません。
最初に出た画面で、アプリの役割が見えてきます。

上段が、フィンランドアイルランド、ドイツ。中段が、香港、トルコ、オランダ。下段が、ベルギー、エジプト、チェコ

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抜歯

神経まで侵した虫歯を、(注射が怖いから)麻酔なしで治療して、という無茶ブリをお願いしたのはいつのころだったろう。十何年、銀色の被せ物を載せていたその歯の容体が急変、ついに抜くことになった。

 

「残念ながら、今日は歯を抜きます。」

冒険の書が消えてしまったかのような物言いで、女性スタッフが今日の治療内容を告げる。大人なので、大人しく麻酔を打ってもらう。意識がふわふわとすると、先生がやってきて、私の口の中を金属の道具でゴリゴリと掘り始める。掘られている、ということをつかむ手がかりは音だけだというのが、不思議だった。終わりました、と起こされて右を向くと、台の上には、被せ物と、無残に割れた歯根のかけらが転がっていた。

 

綿を噛んで医院を出る。口が半分しか開かずふわふわしたまま、買い物をして、家に戻る。口が9割くらい開くようになり、噛んでいた綿を吐き出すと、口の中には、自分が思っていた歯の大きさ以上の、大きな穴が空いていた。自分の身体の一部を失う喪失よりも、十何年も持っていた悪玉をとりはらった、風通しのよさにスースーしている。

 

当然、力一杯噛めない。けれど、そのおかげか変に力が入らなくなって「なんでも簡単でいいか」ってなりはじめた。肩の力入りすぎとかいわれたり、歯ぎしりするくせがあるからなあ。そんなわけで、この記事も簡単に書いている。しょうもないことで、すみません。

琵琶湖ぶらり

そりゃちょっと行くの迷ってたのは認めるけれど、鶴橋のJR乗り換え改札をくぐるのをミスし、環状線を270度まわるのは痛すぎる。大阪出る前に珍道中とかいらん…。

そもそも、思いつき旅。理由は、海が無理なら湖、あるやん。
背中を押したのは、朝方コンビニで見かけた旅雑誌です。巻頭には、津田直さんの写真。津田さんの写真は、近景でも遠くを見ているようで、きっと被写体の向こう側のずっーーと遠いところに、彼にしか見えないものがあって、その存在がわかるようなところがすごく好きです。

正午に長浜駅に着くなり、街に向かう人々を背に、長浜城が見下ろすきれいに計画された公園を抜け、琵琶湖に向かいます。湖のそばは、緑の芝生です。水質が違うので当たり前ですが色が違います。どこからが空かわからなくて、湖面が空の色と混ざり合っています。そしてこれも当たり前ですが、山。

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まにフェスにいってきたよ

ぽちぽちとコーディングやサイトの更新をしているのでありますが、Webデザイナー(きどり)といいながらWebのことをなんにも知らないことに危機感を覚えるあまり、どこから勉強すれば良いのかわからんようになってたときがありまして。

そんなときそんなとき、もう先月の話になりますが、大阪で「まにまにフェスティバル」というWebのセミナーイベントがありまして、若作…いや舐められ防止に化粧してビクビクしながら潜入。

Webデザイナー、サーバー会社のひと、ブラウザベンダーのひと、解析のプロと、ウェブにまつわる様々な立場の方が講演をされています。知らないことだらけで、全部新鮮で、こりゃまいった。Webこそがプラットフォーム(via:Mozillaの浅井氏のスライド)なんて、びっくりしたわ。

どんな職能や業界でもそうですが、ひとくちにWebといってもいろんな立ち位置があります。それぞれの領分がキッチリわかれているわけではなくて、とりまく状況が多様化、1個のサービスだけでもころころ変わるので、どんな風に変化についていくかが大事で。

たとえば、FlashHTML5のどちらかでインタラクティブコンテンツをつくる、という話でも、どちらにもメリットデメリットとあって、要望や条件、時間の中でベストなものを作るにはどれがよいか。いつからとか、何が正しいんやろう…というものではないのだなと、結構当たり前なことに気づく。

いちばんの収穫は、どなたかのツイートにあった、Webにどんな未来をみるか?という視点です。それによって立ち位置も決まってくる。

雰囲気もギョーカイ人ばっかり内輪な感じじゃなく、和やかで良かったなあ。

お土産は、この本です。

IAシンキング Web制作者・担当者のためのIA思考術

※著者の方によるFacebookページにリンク。Amazonへのリンクはあとではります。

IAというのは「情報アーキテクチャ」のこと。(Wikiの説明わかりやすいからリンク~)

前々から、ビジュアルデザインは超美しいのに、Webサイトとしては、よりわかりやすく使いやすく、骨の部分からもっと良くなるはずだ!という感触を覚えることが多くて。

だけど提案したくても説明ができず、ヒントを求め建築設計の本買ってわからんくなった私、知りたい考え方はコレにちがいないと、勇んで買いました。頭爆発しそうになりながらちょいちょい読んでる最中です。社内に7年くらい熟成された秘伝のタレサイトがあるので、課題だと思って分析の練習しようかと。

IAも勉強していきたいテーマですが、まず時代についてくために、デザインと実装の地力!がんばろうー。

そのうちハッカソンもしてみたい。そのためにも地力。

Togetterも良い言葉満載なので、イベントの様子を見る感じでどぞ。

http://togetter.com/li/287931/

Less but Better.

某ブラウザベンダーWebデザイナーの求人を読んだ時、パタと思ったのは、
「これからWebデザイナーとしてなにを作っていきたいか、なにを学ぶべきか」

私は今のバイトに入るまで、エディトリアルデザイナー志望だったので、HTMLのコーディングからWebの世界に入りました。業務内の疑問や考えがもやもや、と溜まっていくのですが、さて自分で作ろう、となったときどうしょう!と。そこでなぜか思い出したのが、インダストリアルデザイナーの、ディーター・ラムス氏。どんなデザインをしたかというと、例えば、一切ムダな装飾のない、真四角で真っ白な筐体に、赤いボタン。この赤いボタンを押せばいいのか、と一発でわかるデザインにひとつの手がかりを見出しています。この思い切りのよさがすべてにおいてベストではないですが、ラムスさんの「グッド・デザインの10の原則」は常に覚えときたいなと、メモ帳に書き写していました。

そういえば、むかしちょっとやっていたブログに書いた、2008年にサントリーミュージアムでやっていたディーター・ラムス展を観た時の感想が残っていたので、続き欄で紹介します。決してブログのネタがないからとお茶を濁しているわけでも、この下の恥ずかしい記事をなんとかして埋めたいわけでもありません!

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梅棹忠夫「情報の文明学」

東京でわざわざ展示を見た、梅棹忠夫さんの「情報の文明学」を読みました。
この本の出発点となっている論文、「情報産業論」は、お腹を満たすために食べ物を作り、仕事(肉体労働)や生活を楽にする機械やものを作り、その次に作り出されていくのはアタマや感覚を満たす「情報」だというものです。

農業の時代、工業の時代、情報の時代、これらをお腹のなかで生き物が育ってていく「胚」に例えて語られるのは、この変化はプロセスではあるけれど三位一体のものなのです。情報の時代においても農業がなくなってしまうのではなくもっと豊かになる。たとえば、博多の「あまおう」というイチゴは、品種の、おそらく胚のレベルから外に流出しないよう管理して「博多にしかない希少なおいしいイチゴ」という情報ともにパッケージングし、地域の特産として売り出されているのです。

この本は「ほぼ日」の「父」で、糸井重里さんも絶対のオススメ本で、Webの楽しさをほぼ日から学んだ私は、なんでこの歳になるまで読まなかったのだろうかと大変悔やまれます。(東京、行って良かった…)「情報産業論」を発表した1963年、たとえば民放が始まって放送人という新しい職の登場など文中に描かれている時代背景をふまえつつ、20世紀の末に糸井さんがWebに可能性を見いだし、ほぼ日を開設するときにこれを読んだと想像してワクワクしながら読んでいました。

みんながなんらかの端末を持って、ぐぐれる環境は、情報の時代の過程であるのです。物質的に豊かになったけどそれだけで幸せなのかなあ、という問いが漠然とあって、Webのおかげでひとりの人間が受け取る情報の分量だけが増え、自分にとってなにがあってるか取捨選択できるリテラシー、もっと言えば編集力が必要になりました。編集はとても大変な作業です。インフラや媒体が主導権を握るコンテンツビジネスと、そこへ個人がやいやい言っていることが混在する今、受け手に要求する割合が多くなっています。このへんの話は「情報化」についてみんながイメージする話です。

本の話にもどりますが、そうしたなかで「情報」とはなんぞやということが見直せて、アタマや感覚つまり心をみたすものだと柔軟に考えることができます。身体に良くなくても、Webにも紙にも載っていなくても、生身で五感や心を満たす体験をすること自体情報。そのあたりを糸井さんがものすごくうまいこと伝えています。そのなかで、生み出すスピードを上げなければならないなかで、「脳作物」を手間ひまかけてつくっていかなければならないと触れています。iPadはそんな脳作物の好例かもしれません。

展示で見た、梅棹さんが現地で集めた民俗学の資料を見ると、情報というものを簡単に考えてはならんと思います。編集をしている受け手の、目をはじめとした感覚が肥えて、これから作られる情報は本質が問われていきますから、情報の時代はまだまだ豊かになる可能性があります。ブランドイチゴやiPadを引き合いに出したように、その鍵はデザインが握っているなと感じます。どうかデザイナーや伝えることに携わる人は、是非読んで欲しいです。

なんだか歯に何かが残る、本の感想文というよりはほぼ日の紹介になりました。本をおすすめしたいのに!もう一度読んだら改稿やな……。

ウメサオタダオ展を、わざわざ東京で。

東京で行った場所のひとつ、日本科学未来館で「ウメサオタダオ展」を見てきました。ツイッターのタイムラインでこの記事を見つけたのがきっかけでして、梅棹さんがいかなる人物かを東京にいくまで知らずにいたことが少し恥ずかしいです。梅棹忠夫さんは民俗学の研究者で、吹田にある民族博物館に深く関わった方です。私にとって民族博物館はこちらのほうなので、吹田の注釈は蛇足でもお許しください。

この展示は、ざっくりいうと、梅棹さんの生涯の研究における、情報のインプットからアウトプット、つまり調査地でとったフィールドノートから、論文や本、吹田のみんぱくの活動に至るまでの、考えの過程です。考えといっても、ぐちゃぐちゃしたものではなく、キッチリとカードとファイルに整理し、書くときにすぐ取り出して組み立てていくことができるということなのです。組み立ての方法に「こざね」と呼ばれる小さなカードを使ったものがあります。積み重ねた情報や考えのかけらをこざねに書き留めて、テーマにそって集め、並べて論を組み立てていきます。

こざねを使った参加型の展示に「人類の未来」について考えるというものがあります。梅棹さんが残したこざね(のレプリカ)を3まい並べ、もう一枚、白紙のこざねに自分で書いて、自分なりの「人類の未来」を作ってみんなでシェアするというものです。科学未来館のサイトで見られます。
私もやってみました。(iPhoneで撮りっぱなしなので、重いです。)

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