茶鏡のブログ

駆け出しのWebデザイナーが文句ばっかりぐちぐちぐちぐち言う日記です。

さよなら絶望

この記事は、「今年やったこと Advent Calendar 2017」の23日目です。すみません、遅刻しました。
達成したといいうよりは現在進行形で進んでいる案件です。

今回は、発達障害が中心のネタで、物騒な単語も登場する、重い話です。読みたくなくなったら、ゆる〜いイラストをご覧いただき、回れ右しよう。

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さよなら絶望

私をよくご存じの方や関連の過去記事を読まれた方はもう知ってるかもしれませんが、私は発達障害です。

今年の初めから、発達障害であることを苦に、絶望し、自殺を考えていました。

障害を診断されたのは大人になってからですが、学校の授業を妨害したり団体行動ができなかったり明らかにオカシイ子どもでした。学校からは「障害児」と認定され、やがて、こんな想いで人生を送ることになります。

「障害者だと言わせない、絶対。」

で、今年やったこと1つめは、以前(もうだいぶ前に別れた)にお付き合いをしていた人と縁を切りました。

彼は、私に「茶鏡さんはアスペルガー症候群(つまり発達障害)じゃないか」と告げてきた人です。

ほんとうに、よくぞ言うたなと。

おかげで、私は家族から反対されていた病院(心療内科)にむりくり赴き、診断を受け、薬による治療や困り事に立ち向かうことを始められました。ただ、あらぬ人から自分の人生やアイデンティティを変えられるようなことを言われ(※)、ショックで受け止めきれず、依存心が募りに募り、彼からのフォローはなく「しんどい」と言われて、ダメになります。

なぜ、だいぶ前に別れた人と、いま縁を切るのかというと、別れた後ちょっと経ってからSNSで友達申請があり、交流がありました。それが、忘れ去れず引きずる原因となってしまいます。とはいえ仮に復縁しても、不幸にしかならないと読んでいました。にもかかわらず、私は復縁を申し込むというか好きだと伝えます。

不幸が見えていて、普通の友達として付き合うことを選ばなかった理由は、いまになってからの後づけですが、人生を変えられても、この人は自分をわかってくれる。という勘違いからです。

幸いにも、彼は別の方と幸せになられていたようで。もう二度と連絡しませんとメッセージを送りました。

(※)好きでもない人からお前は障害者だと言われたら刺してます。

今年やったこと2つめは、障害者だと言わせない、という生き方をやめました。

きっかけは、自殺しなくてもいいように、自分を変えたいと思い、カウンセリングを受けたことです。

VERY PARADISEさんのじぶんリサーチインタビューというサービスを受けました。
「今の自分に点数をつけるなら100点満点中何点ですか?という問いから始まるインタビュー、私は、過去と現在を洗いざらい話し、いまの自分にマイナスの点数をつけます。
そこで、20年以上続けてきた、障害者だと言わせないという生き方、健常者に近づくための努力は、やりたくないことだ、ということが分かります。その努力をしてきた自分を自分で認めて、次は、自分を肯定することを積み重ねていって、自分を生きることが必要……などなど、たくさんのフィードバックや、宿題をいただきます。

親の勧めで受けた、通院している病院でのカウンセリングも受けました。
同じように過去から話し、元彼に発達障害だと告げられ生き方を変えられた、と話すと「ムッチャ恨んでるやん」と言われ、ああ私、結局は傷ついてて、ほんであいつ恨んでるんだと。
発達障害スペクトラムなのに、障害と健常を分けることは単なる自分ルールでしかなくて意味はあるの?障害に関係なく、楽しく生きていける方法を探ろう、という話を始めます。

ないものばかり見て悲観的になるんじゃなくて、あるものに目をやろうよ、ということ。肯定されたい、のではなく、まず私が自分で肯定すること。

○○ができないのは発達障害だから、とか、発達障害だから人間として全部ダメ、という、言い訳やコンプレックスに意味はありません。いま古傷から膿がどんどんでておりますが、元彼を恨むことにも意味はないです。

もちろん、絶望する必要もない。

困りごとがなくなるわけではありませんが、発達障害は現実でしかない。立ち向かう必要はありますが、受け入れる、開き直るというよりは、正直どうでも良くなりたいのです。(言い方悪い)

これからの希望を持てていないし死にたいと思うことはあっても、なんとかなるやろというか、私らしく生きられるだけ生きていけたらいい。

だからさ、さよなら、絶望。

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