あきらめないこと
今回は全くの近況報告です
このブログとは別に、闇ブログを立ち上げたほうがいいのかなと前々から思っていたのですが、前のポストで発達障害をさり気なくカミングアウトしたしもうええか…とおもい筆を執ります。ニート生活の報告もしたし、そもそも誰の役にも立たないブログなのでときにはこういうのもありかなと。
なるべく闇ポストにならないように書きましたのでご安心を。
※この記事は差別語を含みますが、他者を差別する意図はございません。
転職失敗?
転職して約1ヶ月経ちます。Facebookでテンション高く本採用の報告をしましたが、久しぶりに超大ピンチに立たされています。
職場が変われば、扱う技術の違いから、ツールを含む仕事のすすめ方、文化やコミュニケーション、スピード感まで何もかもが違いすぎてついていけてない状態です。
例えば、
- 前職:スタンドプレー横行、Webの担当一人しかいないから調べ尽くしてやりきれ、徹夜でもなんでもしろ
- 現職:チームプレイだから、全体を考えてわからないことがあったらすぐ聞け、調べたり準備したりは時間=お金の無駄
単純に人に聞くのって、そうそう簡単じゃないんですよ。
今は簡単な作業をやっていますが「こんな簡単なこともできないのかよ…」と途方に暮れたりしています。
社長やスタッフは丁寧に指導してくださるのでとてもありがたいのですが、いつまでもこれというわけにも行かないし、もしかしたらこの転職は失敗じゃないのかとか思ったりしています。
発達障害だから、あきらめる?
たぶん障害の特性で、自分のやりやすいやり方や考え方のフォーマットに当てはめないとものが進められない、知らないことに慣れるまでに相当なエネルギーと時間がかかります。
発達障害がわかり数年経ち、障害を理由に、仕事、お金、生活、恋愛、容姿、コミュニケーション、ひいては人生をあきらめだしました。自分には無理だし、なにをやったってガイジでしかなく、健常者からは劣る存在なんだと思っていました。
話は変わりますが、前のポストで、若い頃に「健常者に近づく」という努力をしていたという旨を書きました。それは自分を変えるための努力です。
発達障害がわからなければ、自分を良くする希望を持ち続けていたかどうかは、正直わかりません。ただ、今の職場で立たされているピンチとか人生の苦渋を前に、あちらこちらから「あきらめるなよ!」という声が聴こえる気がしてならないのです。
障害者は弱者?
最後にハフィントンポストのこの記事を紹介します。
アメリカでは障害を持つ人を「障害と共に生きる人」と呼ばれるそうです。この記事を読んで、自分は「弱者」だと認識していたことが恥ずかしくなります。
「弱者」の代わりに英語では、「ボーナブルな人たち(people who are vulnerable)」という言い方をする。日本語にはない表現で、「弱者」とも意味が違う。ボーナブルは、障がいの有無を問わず誰もが経験することだ。たとえば、言葉の話せない国に行ったとき、暗い夜道を一人で歩いているとき、風邪にかかったときなどには、ボーナブルな状態になり得る。
例えば私の話で言うと、日本語で話していても、相手が英語で話しているかのように、何を話しているのかわからなくなってしまうことや、そもそも自分の耳が情報を取得するツールとして当てにならない、など。
それでも、必死に聞き取る、会話をしようとしたりメモをとったりしています。
いまは、若い頃のような、強固な意思や体力はないです。
私は「持つ者」か「持たない者」でいうと明らかに「持たない者」です。それも、最近ついついと考えてしまいます。
それでも新しい形で希望は持っていたい、そう願います。