茶鏡のブログ

駆け出しのWebデザイナーが文句ばっかりぐちぐちぐちぐち言う日記です。

フリーペーパー「のんびり」はWebでは無理?!

秋田県の魅力を伝えるフリーペーパー「のんびり」をご存知でしょうか。その土地のおいしいものや受け継がれる文化を体当たりで取材し、地元民と編集チームの思いがめぐり・つながる瞬間をとらえあたらしいビジョンを届けてくれる情報誌です。街で見かけたらかならず持って帰っています。

執筆時点で最新の8号を休日に読みました。テーマは「あきたびじん」です。しかしかわいこちゃんを紹介する特集でなく、あきたびじんという言葉を定義し、秋田内陸線という鉄道路線の話からはじまります。内容はぜひ入手して一読を、ということで、今回もおもしろかった!んですけど、ここでわたしはこんな感想を抱きます。

「この大スペクタクルは、Webじゃ絶対無理!」

って、なんでこんな感想をいだいてしまったのだろう。Webだったら自由じゃないのか文字数も頁数も構成も。
あまりに謎なので考えてみることしました。

もくじ

  • なぜWebじゃ無理?
  • 特徴的な編集
  • 大スペクタクルは必要?
  • さいごに

※一応、ネタバレ注意でお願いいたします。

なぜWebじゃ無理?

ロングテキスト、「読み物」というコンテンツはWebメディアでもたくさんあります。
Webじゃ無理だとおもったのは、じっくり腰を据え、最初から最後まで取材チームと気持ちを一つにして読まないと結論どころかテーマも見えてこない、ハイコンテキストな読み物だからです。

目次を見てみましょう。

  • 第1章 のんびりツアー in内陸線
  • 第2章 観光アテンダント
  • ほかにもあります秋田内陸線スペシャル1
  • 第3章 曲作り
  • 第4章 あきたびじんを探して
  • ほかにもあります秋田内陸線スペシャル2
  • 最終章 みどりのなかを

目次は内容の概略をつかむところですが、これだけではよくわかりません。いまは普通のブログの「1記事」でも良記事ならば話題になります。ゆえに、もしWebで発表するならば、連載の一部であっても1記事でも成立するように書くのが合理的なはずです。そうすると、スペクタクルに欠かせない「伏線」をほぼバッサリ削ぎ落とすことになります。

特徴的な取材と編集

伏線の例として、重要人物であるシンガーソングライターの、第1章でいきなり登場シーンを引用します。

しかし、そうやって内陸線について考えを巡らせていると、いつしか、あきたびじん特集のはずが内陸線特集のような空気に…。このままではまずいぞと思った僕は、今回の取材に、一人のあきたびじんに同行してもらえるよう打診しました。

ツッコミをいれたくなりますが、ガチでまだ方向性が決まっていなかったのでしょう。次の日に偶然アテンダントに出会い、内陸線が抱える問題を考える……このように、現場で感じた動機を軸に行う取材スタイルは、行き当たりばったりや偶然の要素も多分に含まれています。問題への解決法や、出会った人たちとの想いをつなぐアイデアを限られた時間内で実行に移していく、なんという快刀乱麻!

記事はロードムービーのようにすすみます。文脈は「タイムライン」。
ここで無理やりGitでたとえると、のんびりはnon-fast-forward merge。こまかな履歴が全部残ったまま誌面に反映されます。
ある章のこまかなエピソードが、次の次の章で深く関わっていき、一本につながる。誌面に、本来必要ないはずの作戦会議やエピソード、計り知れない分量の思考と行動力が伺える取材のプロセスを残すのが、大スペクタクルの秘密。そのかわり、文面はとても複雑になります。

大スペクタクルは必要?

のんびりは秋田おもろいで!おいでーな!と叫びながら、自分たちのメッセージを投げかけるために、ああした編集をされているはずです。

普通のサイトや雑誌のように、トピックが1記事でキレイに分かれていると、たとえ取材のプロセスが別記事などで見えていたとしても、そうなれば楽屋裏話。トピックとトピックを繋いで考えて、本質や根底の想いを知るところまでは、なかなかたどり着かないし、めんどうくさい。

いまのSNSやキュレーションアプリが1記事、ワンフレーズのみを広めてゆき、それが必要な情報であるかどうかサクサクしわけないとやってられず、もはやあらゆるWebのコンテンツが木を見て森を見ずで、森があることを意識さえしなくなってます。livedoorニュースの「ざっくり言うと」は、初見で「天才や」と思ったし、ローコンテキストに、簡潔に伝えていく努力は、Webだけでなくリアルのコミュニケーションでもとても大切で、コンテンツも今後ますますそういう編み方が求められます。

ただ、のんびりを読んで考えてみて気づいたのは、ローコンテキストがすべてではないということです。

見聞きし、実感したものごとを自分の頭で繋いで考えて、それぞれの腑に落としたり、想いを馳せる。冒頭で「最初から最後まで取材チームと気持ちを一つにして読む」と書きましたが、のんびりはそのケーススタディというか、読者も一緒に本の中で体験してもらって、読み終わったら現地に行って実際に感じて欲しいのだなぁと。それを証拠に、記事を読んで泣いた人さえいるのです。(のんびりのfacebookページ調べ)

それは書籍というメディアの役割と切り離すんじゃなくて、Webでも大スペクタクルをうまく伝える余地というか、可能性がまだまだありそうです。キュレーションアプリやSNSのタイムラインの、隙間に。

さいごに

最後思い切りぶん投げまして挙句、この記事ハイコンテキストどころかなに書いてるかわからんやん…。 最近ぜんぜん自分の頭で考えてないことまるだしの自分に自戒をこめて筆を置きます。

のんびりの関係者各位には、毎号、奇跡の取材と編集へのリスペクトと、えらそうに考察をしたためたお詫びを申し上げます。