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さかがみのブログ

HTMLコーダーが文句ばっかりぐちぐちぐちぐち言う日記です。

梅棹忠夫「情報の文明学」

読んだ本

東京でわざわざ展示を見た、梅棹忠夫さんの「情報の文明学」を読みました。
この本の出発点となっている論文、「情報産業論」は、お腹を満たすために食べ物を作り、仕事(肉体労働)や生活を楽にする機械やものを作り、その次に作り出されていくのはアタマや感覚を満たす「情報」だというものです。

農業の時代、工業の時代、情報の時代、これらをお腹のなかで生き物が育ってていく「胚」に例えて語られるのは、この変化はプロセスではあるけれど三位一体のものなのです。情報の時代においても農業がなくなってしまうのではなくもっと豊かになる。たとえば、博多の「あまおう」というイチゴは、品種の、おそらく胚のレベルから外に流出しないよう管理して「博多にしかない希少なおいしいイチゴ」という情報ともにパッケージングし、地域の特産として売り出されているのです。

この本は「ほぼ日」の「父」で、糸井重里さんも絶対のオススメ本で、Webの楽しさをほぼ日から学んだ私は、なんでこの歳になるまで読まなかったのだろうかと大変悔やまれます。(東京、行って良かった…)「情報産業論」を発表した1963年、たとえば民放が始まって放送人という新しい職の登場など文中に描かれている時代背景をふまえつつ、20世紀の末に糸井さんがWebに可能性を見いだし、ほぼ日を開設するときにこれを読んだと想像してワクワクしながら読んでいました。

みんながなんらかの端末を持って、ぐぐれる環境は、情報の時代の過程であるのです。物質的に豊かになったけどそれだけで幸せなのかなあ、という問いが漠然とあって、Webのおかげでひとりの人間が受け取る情報の分量だけが増え、自分にとってなにがあってるか取捨選択できるリテラシー、もっと言えば編集力が必要になりました。編集はとても大変な作業です。インフラや媒体が主導権を握るコンテンツビジネスと、そこへ個人がやいやい言っていることが混在する今、受け手に要求する割合が多くなっています。このへんの話は「情報化」についてみんながイメージする話です。

本の話にもどりますが、そうしたなかで「情報」とはなんぞやということが見直せて、アタマや感覚つまり心をみたすものだと柔軟に考えることができます。身体に良くなくても、Webにも紙にも載っていなくても、生身で五感や心を満たす体験をすること自体情報。そのあたりを糸井さんがものすごくうまいこと伝えています。そのなかで、生み出すスピードを上げなければならないなかで、「脳作物」を手間ひまかけてつくっていかなければならないと触れています。iPadはそんな脳作物の好例かもしれません。

展示で見た、梅棹さんが現地で集めた民俗学の資料を見ると、情報というものを簡単に考えてはならんと思います。編集をしている受け手の、目をはじめとした感覚が肥えて、これから作られる情報は本質が問われていきますから、情報の時代はまだまだ豊かになる可能性があります。ブランドイチゴやiPadを引き合いに出したように、その鍵はデザインが握っているなと感じます。どうかデザイナーや伝えることに携わる人は、是非読んで欲しいです。

なんだか歯に何かが残る、本の感想文というよりはほぼ日の紹介になりました。本をおすすめしたいのに!もう一度読んだら改稿やな……。